chilican's diary

読んだ本や聞いた音楽の話をします。

サエロック・ホームズの冒険~北村紗衣『シェイクスピア劇を楽しんだ女性たち 近世の観劇と読書』

 北村紗衣『シェイクスピア劇を楽しんだ女性たち 近世の観劇と読書』(2018, 白水社)を読みました。

シェイクスピア劇を楽しんだ女性たち - 白水社

 シェイクスピアがイギリス文学の正典の地位を確立してゆく過程を、16世紀末から18世紀半ばの時期に、舞台の観客、演者、戯曲の読者、批評家、そして文学研究者として、女性が果たしていた様々な役割に注目してたどる。
 著者の目的は、文学の正典形成に関して、テクストの芸術的価値の普遍性や、政治的、社会的状況とのかかわりが果たす役割に比べて重視されない、読む楽しみが大きく関与していると明かすことにある。「読書や観劇といった一見、受動的な行為は積極的な楽しさの追求」(p.15)であり、「楽しさを主要な正典形成プロセスの主要な推進力として位置づけ」(p.14)ている。楽しむ人がいなければ、ある作品や作家の芸術的価値が高く認められることはないのである。
 もう一つの目的が、これまで明らかになってこなかった女性観客や読者が、演劇や読書を実際にどのように楽しんでいたかに光を当てることだ。女性だけで観劇に行くグループがあったり、本を集め、親しい人たちと本を贈り物としてやり取りしあって、同好の仲間と交流し、自ら劇を演じもする。女性の受けられる教育が家庭内や、私的なものに限られた時代にも文学研究をしたり、シェイクスピアの作品集編集に携わった女性がいたのである。

 北村紗衣『シェイクスピア劇を楽しんだ女性たち  近世の観劇と読書』

北村紗衣『シェイクスピア劇を楽しんだ女性たち 近世の観劇と読書』

 著者は蔵書票や本に残る痕跡をたどって、シェイクスピア本のユーザーたちの身元を探って行く。本の持ち主の楽しみ方や女性の知的活動を明らかにしてゆくその仕事ぶりは、探偵さながら。スリルたっぷりだ。「サエロック・ホームズ」とお呼びしたい!
 どの本の来歴も興味深く、何百年も前のことだけれど、時間を超えてよそのお家をこっそりのぞいている気分になる。この本で明らかになる所有者たちで最もぐっと来たのは、『シェイクスピア作品集』第二版の編集に関わったメアリ・リーヴァーと蔵書の行方だ。ぞくぞくするほどおもしろい。メアリ・リーヴァーと夫のトマス・ホーキンズの蔵書の一部は、ニュージーランドに移民した孫娘によって、大西洋と太平洋を渡り、はるか南半球まで運ばれた。そして、夫の陰に隠れて名前の出なかったメアリの知的活動も、蔵書とともに一族の言い伝えで後世まで伝わったのである。

  今でも皆無ではないと思うのだけれど、蔵書を親しい人にあげて引き継がれて行くのっていいですね。実際にうれしいと思える贈り物にするには、やり取りする人たちが解釈共同体を作っているか、せめて関心の領域が重なっていないと厳しいから、今はそれほど盛んではないのかもしれない。

 個別の作品の需要、解釈のされ方で、あっと思ったのは次の二点だ。まず『ハムレット』のオフィーリアが能動的な姿を見せる劇中劇について論じている部分です。ここで能動的になっているというのも、オフィーリアといえば、ミレーの絵が浮かんだりして、記憶の中の姿は相当はかなげなので、つい忘れているんだけど、オフィーリアが「お芝居に集中」(P.36)して、見る主体となることが、女性の観客にとっては自分たちの行動を映し出す人物になっているということ、考えたこともなかった。それから『アントニーとクレオパトラ』。クレオパトラが女性作家にとって多様な人物を描く上で、非常に可能性を持ったキャラクターだったというのがとてもおもしろい。王党派が自身を投影するというのは、革命期ならではの見方だ。

 また著者は、18世紀において低く、周辺的にみられていたロマンスなどの文芸を女性が読んでいたことも正典化に寄与した可能性について述べている。こうした記述で思い出したのは、ネットにおいて女向けとみなされたものに対する否定的な評価を含む「スイーツ○○」というレッテルだ。その手のレッテルはマッチョで古臭いうえに、レッテル張りに迎合しないと通じゃないみたいのをしばしば見かけるけどこういうのは趣味サークルの閉ざされたよくないメンバー選別だ。共同体で交わされる解釈が固定化してしまって、見逃すものが大きくなるに違いない。

 この本では、表立って足跡を残すことが難しかった女性たちの、今でも低く見られがちな「楽しむ」という知的活動という、二重に顧みられない営みを知ることができる。とても意義のある、また楽しい・・・本であり、読書や観劇、映画鑑賞といった文芸に関心のある人に薦めたい。

シェイクスピア劇を楽しんだ女性たち:近世の観劇と読書

シェイクスピア劇を楽しんだ女性たち:近世の観劇と読書