chilican's diary

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Miroslav Vitous Group w/ Michel Portal / Remembering Weather Report (2009, ECM 2073)

Miroslav Vitous Group w/ Michel Portal / Remembering Weather Report (2009, ECM 2073)

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Miroslav Vitous Group w/ Michel Portal / Remembering Weather Report (2009, ECM 2073)

  1. Variations On W. Shorter
  2. Variations On Lonely Woman
  3. Semina
  4. Surfing With Michel
  5. When Dvořák Meets Miles
  6. Blues Report

Remembering Weather Reportウェザー・リポート回想、なるタイトルであるにもかかわらず、鍵盤楽器がいないことがまず目を引く。前作で多用されていた、ヴィトウス自身の監修によるサンプリング・オーケストラの使用もなく、トランペットテナーサックス、バスクラリネットの3管クィンテットになっている。WRからヴィトウスが去ったのはファンクへの志向を強めた/あるいはキャノンボール時代からの本来の志向をアップデートしたジョー・ザヴィヌルとの相違が原因だが、だからといって、鍵盤なし=ザウィヌル的な要素の排除と解釈してはならない。

おそらくWR初期において両者の共通点は、メランコリックでチルアウトするサウンドの色彩感覚にあった。WR始動直前のヴィトウス、ザヴィヌルの共演作であるZawinulとヴィトウスのPurpleを思い出そう(「パープル」はLPでしか出ていない。ぼくはまあ、ブートレッグで……)。

そのほか、初期WRの特徴もまた、このアルバムで聞くことができる。ソロと伴奏の区別の融解と、ベースの伝統的な役割の放棄である。

そもそも後のファンク、エレクトリックポップ路線はザヴィヌル7割、ジャコ・パストリアス2割くらいで作ってただけで、オリジナル・ウェザーはポップとは無縁のグループだったのではないかなあ。それに、明らかにWRの売り物であった「ソロ/非ソロ」の並列はマイルスの『ネフェルティティ』で見せた、旋律楽器によるアドリブ=モダンジャズの図式の破壊の延長線上にあるわけで、ここでヴィトウスがショーターの"Nefertiti"を取り上げてることや、鍵盤がないこと、フリーなアプローチが多いことがすなわちWRを看板に持ってきているだけの羊頭狗肉だとはいえないと思う。というよりも、前回も書いたけど、ソロとバッキングの区別の融解と、ベース、ドラムの伝統的な役割の放棄はWRの本質のうちのかなり多く、半分くらいにはなる。残り半分が旋律の美しさと、エレクトリックキーボードを中心にすえた和音の独特な響きだ。こちらはヴィトウス離脱後もショーターとザヴィヌルが二人だけで"In A Silent Way"を演奏し続けたところに現れている。その意味で、Universal Syncopations IIに引き続き、「こうだったかもしれないウェザーリポート」を幻視させてくれるヴィトウスの音楽というところで、十分このアルバムはタイトルどおり「ウェザーリポート回想」だと思うんだけど、やトリビュートと銘打ったヒットパレードとか再結成プロジェクトとかだったら、僕なら逆にがっかりするところだ。っぱりWRのレパートリーとか、直接にWR風のをやってほしいって思う人はいるんだな。

 

Remembering Weather Report

Remembering Weather Report

 

 

発売当時には「WR曲やってないの?てっきりそういうものだと思って買ったのに」といった感想をあちこちのブログで見かけた。その後、ヴィトウスはWRの大ヒット曲「バードランド」を取り上げたアルバムを出した。むろん、ヴィトウスの作風にのっとった形で。

"When Dvořák Meets Miles"のタイトルに引きずられて、ヴィトウスとドヴォルザークというなら、ほとんどコントラバス協奏曲といっていいUniversal Syncopations II のほうが関連性を見出しやすいような気がするけれども(US IIはヴィトウス自身の製作したチェコ・フィルのサンプリング音源が使われている)、ドヴォルザークにも手が伸びる。スラヴ舞曲(コシュラー/チェコフィル)とチェロコンチェルト(ジャクリーヌ・デュ・プレ、グローヴス/リバプール響)。

ヴィトウス在籍時WRからの連続性、というかヴィトウスが追求しているテーマのひとつなんだろうけど、管楽器とコントラバスが同じフレーズを重ねて行く中で、弦バスが下、管楽器が上だったのが、いつの間にか逆転する面白さというのがある。WRの1stにはいってる"Orange Lady"ではショーターのソプラノサックスとヴィトウスのベースでそれをやっていて、ザヴィヌルとはその辺も後に方向性がずれて行くわけだが、新作でもその手の響きの面白さが随所にある。鍵盤がいない代わりに、トランペットテナーサックス、バスクラの三管にすることでコントラバスが上にいってもアンサンブルの厚みがそこなわれていない。70年代末から80年代のカルテットで、マルチリード奏者ジョン・サーマン(ss、bs、bcl)と組んでいたのも、コントラバスとのブレンドやアンサンブル全体の構成を考えてのことだったんだろうな。ソロの旋律も美しいが、アンサンブルの響きもヴィトウスの魅力だ。