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Paul Auster, Invisible

Paul Auster, Invisible (Henry Holt And Company, 2009)を読んだ。

 

Invisible

Invisible

 

 

 1967年のニューヨークとパリを舞台に、詩人志望の大学生アダム・ウォーカーが経験する暴力とセックスと死に満ちた世界を描いた長編小説である。

 1967年、春、ニューヨーク。コロンビア大学の学生アダム・ウォーカーはパーティーでフランスから来た客員教授ルドルフ・ボーンとそのパートナー、マーゴットと出会う。ボーンの出資で文芸雑誌を作ることになったアダムはマーゴットと性的関係を持つにいたる。ある夜、ボーンとアダムは町で強盗に襲われるのだが、そこで……。

 同年夏、ニューヨーク。秋からのパリ留学を控えたアダムは、それまでのあいだ姉のグウェンと同居し、幼くして事故死したふたりの弟の誕生祝いをする。

 秋、パリに着いたアダムはマーゴットとボーンに再会し、ボーンの婚約者ヘレンとその娘、セシルと知り合う。春の事件の顛末をヘレンとセシルに明かしたアダムは……。

 

 この1967年の物語は2007年のアダムが書き、旧友であり、著名な作家であるジムに送った草稿である。それぞれ「春」は一人称、「夏」は二人称、「秋」は三人称で書かれていて、当然のことながら語り口が異なる。作中作品もオースター十八番の手法だが、この小説の楽しみのひとつはさまざまな声で物語られるのを聞くところにある。

 作中では、ダンテの『神曲』とカール・ドライヤーの映画『奇跡』について詳述されているのだが、ぼくはどちらも知らなかった。『神曲』はあらすじくらいは知っているが、ギュスターヴ・ドレの絵(それから、さらにそれを下敷きにした、水木しげるの『鬼太郎の天国・地獄入門』や永井豪の『ダンテ神曲』)で見知っているようなものだし、ドライヤーにいたってはひとつも映画を見たことがない。

 小説の多くを占めるテクストの「作者」であるアダムとジム、セシルは「書く」「物語る」欲求をあらわにするキャラクターだが、ほかにふたり、他人に「書かせる」「物語らせる」意志を示す人物がいる。彼らの示す顕示欲と不可視でいたいという欲望、相反する欲望が同時に表れるところに、きわめて強い暴力が出現する。読み終わった後、その暴力の強さととらえどころのなさがぼくの周りにまとわりついて離れない。