chilican's diary

読んだ本や聞いた音楽の話をします。

Pat Metheny / Orchestrion

もうすっかりネットでのメインははてなハイクになってしまった。
いろいろ多機能なチャット+掲示板+ブログなので、同時に誰かと何かやってる感が強くて面白いのだ。
ツイッターより長文がかけて、動画の埋め込みや絵もかけるのがいい。

さて、パット・メセニーの新作Orchestrionを買ったのであります。

「オーケストリオン」というのは17世紀から、1920年代まで使われた、さまざまな楽器を組み合わせた自動演奏装置のことだけれども、それにならってメセニーが自動演奏装置を独自に組み、それと自身のギターを共演させたのである。


こんな機械。
ピタゴラスイッチピタゴラ装置的なわくわく感がありますね。(o(´∀`)o)ワクワク
動いてるところが見える、というのはかなりポイントが高い。
実際には膨大な手間と試行錯誤を経ているにもかかわらず、機械が動いているのが目に見えることで、なんとなく手の届きそうな感覚さえあるアナログなハイテク、ってのは今日珍しい。

アルバムで聴ける音楽はいつものパットメセニーであった。
いつもよりもマリンバを多用しているのが目立つ。
ザッパとか現代音楽とかを気に入ったひとつの理由として、マレット楽器のかっこよさがあるんですが、それらとは似ていないものの、メセニーのこのアルバムも、マリンバのころころ感が全編にわたって堪能できる。これはかわいらしくていい。

これこそCDよりも映像で出すべきではなかったか、ノンサッチよ!
夏ごろにデラックス盤か、映像作品が出るだろうな、たぶん。

案の定、というべきであろう。
アマゾンのレビューやブログの中には、バンドサウンドと変わらないものを自動演奏でやるなんて、ただの道楽、子どもが高価なおもちゃを自慢するようなもんだという意見が出ている。
これは最初聞いたときに、「なーんだ、これまでとかわんねーや」と思ってしまった時点からの転向を含めての感想なのだけれど、そもそも自動演奏や、一人オーケストラが、合奏と同じように聞こえる音楽を指向するのは当然ではないか。
本作を道楽として批判する意見の根底にあるのは、おそらくミュージシャン同士が同時にセッションしてる音楽には敵わないぜ、という思想なのだけれど、
そういった批判はハードディスクによる編集が一般化した現在、録音作品の聴衆にはひとつの音さえ、いつ演奏されたものかすら、明示されない限りわかりようがないという事実を認識していない、生身信仰にしか見えない。

現にメセニーのThe Way Upだってハードディスク上で切り貼りされまくっていたというのに、非常に生々しく、また即興演奏とバンドの決めの両方で聞き手を魅了することが要求されるという意味で、優れたジャズのアルバムだったじゃないか。

これがジャズかどうか、あるいは人間的であるかどうかという論議はさておき(ぼく自身はイエスであると思うが)、オーケストリオンが奏でる打楽器と弦楽器のどこかかわいらしい音色はメセニーの口当たりのよい、叙情的な音楽にもよくあっていると思う。