chilican's diary

読んだ本や聞いた音楽の話をします。

ビル・フリゼールの音楽を聴いて、ちょっと考えた

昨日はラルフ・タウナーで、今日はビル・フリゼールを聞いた。
ハンク・ウィリアムスなどで有名な"Lost Highway"のトリオでのライヴ。

タイミングというのはうまく合うもので、com-postにはフリゼールのインタビューが載り、910さんのジャズCDの個人ページBlogでも彼が手がけたサントラの記事が載った。

ジャズミュージシャンには珍しいことではありませんが、フリゼールも山ほど録音がある人なので、去年出たという新作も件のサントラもぼくは聞いてないのだけど、それはそれとしてフリゼールの独特の和音やエフェクトを駆使した音楽は面白い。それほど数を持っているわけではないけど、彼のリーダー作はどれも茫洋として浮遊感が強い響きがあるとか、その割に単音で旋律をひくときにはちょっとアクのあるおとになるとか、一応共通したフリゼールらしさというのはあるのだが、およそ既存の枠には収まらない位に幅が広い。

ピコピコーン、って言う音と、まるでオルガンか何かのような、アタック音のない和音に、いわゆるギターらしい旋律が重なるときの気持ちよさはほかのギタリストではちょっと味わえない。

グラミー賞を取ったときに「アメリカーナ」とか、古きよきアメリカを再創造したとか、ジャンルではなく、もっと広く地域や文化を総体的に表したもの、という語られ方をしていて、あくまで基調としては中西部の白人男性の文化、ということになるけれど、com-postのインタビューでは、音楽の要素として「アメリカ的」と本人が認めているのとともに、そうしたイメージをアメリカ人以外にも抱かせるひとつの要因であるジャケット写真などはレコード会社が選んでいて、フリゼール自身はあまり関与していないという事情が、外に向けて選ばれるアメリカらしさと、内在的なアメリカ性の重なりやずれを読み解く上で興味深い。

フリゼールに限ったことではありませんが、ひとつの例証としてね。