chilican's diary

読んだ本や聞いた音楽の話をします。

村上春樹『1Q84』が具体的にもたらしたもの

ちょうど仕事がひと段落して時間を取れたので、今日昨日で村上春樹1Q84』を読むことができました。

物語の構成としては、『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』や『海辺のカフカ』と同じくふたつの話が交互に進んでいく形で、「ハードボイルド・ワンダーランド」的なアクション・エンターテインメントと、比較的動きの少ないお話からなっている。もう一つのパートは直接的には『スプートニクの恋人』を思わせる。もちろん、これまでの村上春樹の作品を連想させる点は随所に出てくるし、一人懐かしい人物が出てくる。

現代における暴力についてはずっと村上のテーマとしてあるわけだが、自己決定、あるいは個人の意志を誰かほかのものにゆだねること、がついに長編における主要テーマとして、ついに明示された。今回ははっきりとモデルがわかるように書かれている。連合赤軍をはじめとする新左翼、または新右翼の過激な政治団体ヤマギシ会、エホバの証人、そしてオウム真理教。これらを連想しない読者は、少なくとも20代以上では皆無だろう。

ほかにも連想してしまう実在の人物や架空のキャラクターは多いが、そういうトリビアを書きたがるブロガーは多いだろうから、これ以上は書かない。
作中に出てくる音楽については、テーマソング(だろう、どう考えても)の2曲は手元にあったので、章の区切りごとに繰り返して聴いた。これについてはまた別の記事で書こう。

謎ときとそれに付随する「ネタばれ」に過度に敏感だったり、モデルを探したがる人が多いのはなぜだろう。文学を学んでおいてアレだが、ぼくは作家の私生活や伝記的事実について知るのがものすごく失礼なことのように思えてならない。論文やレポート作成である程度やらざるをえなかったが、存命中の人はもとより、物故者でもなんだか感覚的にイヤだ。極端にいえば、筆名か本名かすらどうでもいい。まあ、ジョイスの『ダブリナーズ』みたいに「スティーヴン・ディーダラス」(!)の名義でかかれたことがほかの作品を読む際にメタ的にかかわってくるしかけは面白いと思うが。

コミューンとカルトのどちらになるか、いいかえれば自分と相いれない思考、存在に対して消極的に対処し、かかわらずにいるか、それとも積極的に暴力という形をとってテリトリーから排除するか、どちらをとるのか。その選択の問題は、「先生」と鼠の対比として『羊をめぐる冒険』から描かれてきたが、ねじまき鳥以降、あえて暴力を持って暴力を制する描写が増えている。2chでは評判の良くないアフターダークでなげかけられた、理不尽な暴力を前にして第三者はなにをするべきか、という問いもまた、ここで再び問い直される。

暴力にはくみしないでふみとどまる「沈黙」の主人公のあり方のほうが、個人的には徳が高いと感じるのだが、今度の小説のアクションパートの主人公も、暴力をとる人物である。いかにもスタイリッシュに(あえていってよければ、娯楽映画的に)暴力と性的放埓のなかにいるこの主人公を、ぼくは受け入れられない。もちろん、主人公が暴力と性的放埓を選びとるまでの事情もえがかれている。その記述を信じる限り、主人公はおそらく過酷な状況で何らかのマヒ状態になりつつ、生き延びていると解釈することはできる。現実的に主人公と同じような目にあってきた人にあったならば、きっと同情するだろうけれども、暴力と性的放埓を是認するわけにはいかないのだ。ハイスピードな物語は楽しんだけれども、そこで描かれる正義の価値を認める気にはならない。そんな主人公に比べれば、超自然的な力にからめ捕られ、破滅していくある登場人物のほうがぼくには魅力的に映る。その人物のスピンオフ作品が書かれたりすることはないだろうが、できることならばそういう人間を主人公にした村上春樹の小説をぼくは読みたい。

もう一つのパートにおける、家族との結びつきを絶ってしまった主人公がそれを回復させようとした時には既に手遅れになっている部分は気に入ったのだけど、結局のところ、村上春樹の世界においては失われたものは回復するきっかけすら与えられないままだ。

とある重要人物同士の性交は、「カフカ」がそうだったように肯定的な感じはしない。欠損をもたらす性行為と対比するかのように書かれているけれども、それもやはり物事を損なうものであると思う。
ぼくはここの場面で、実際に吐きました

朝日堂の読者メールみたいに性欲を高進させる方向でフィジカルに作用する人もいるんでしょうが、ぼくは逆なのだ。食欲は刺激されられるんだけどなあ。

謎ときという意味では、個々の場面はすごく重要なのはわかるのだが*1、正直読みたくない場面だ。

肯定的な感想は書いていないけど、読んで後悔したわけではないのだ。
短編だともっと単純に良かったと言える作品があるのだが、村上春樹の長編にはいつもないまぜで両義的な感想を抱く。

たぶんさらに続く小説だと思うが(最大であと2冊は出ると思う)、続きはいつ出るのかな。
ねじまき鳥の時は一年半待たされたんだっけ。

*1:妊娠したくないと述べた人間が、妊娠しないと言い切るということは……AとA'は別の個体ではないか?ということだ