chilican's diary

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『草原の実験』(2015、ロシア)(ネタバレあり)

 映画『草原の実験』(アレクサンドル・コット監督、2015、ロシア)を見ました。


『草原の実験』予告編


 人里から離れた草原にぽつんと立つ一軒家で、少女(エレーナ・アン)は父親と暮らしている。毎日出かける父を見送り、少女は一人まだ見ぬ遠い世界に思いを巡らせながら、羊を飼い、日々の家事をしながら、静かに、穏やかに暮らしている。毎日地平線に上る太陽は輝きとともに、あたりを赤く、青く、えも言われる色に染める。近くに住み、少女を毎日馬に乗せている青年と、どこかからやってきた金髪碧眼の青年の間で、少女を巡って恋のさや当てが起こる。
 ある日、軍で働いていると思しき父は体調を崩し、遠くの病院に運ばれるが、帰ってきたのちに家の前にあるベンチ代わりのベッドでこと切れる。一人きりになった少女は、近くの青年から結婚を申し込まれるが、彼女は土地のしきたりよりも、金髪の青年を選び、二人は結ばれる。
 あくる日、恋に破れ泣く男と、恋人たちの耳に、大音響が響き、遠くの空にきのこ雲が立ち上る。まがまがしい光に顔を染めながら、恋人たちは手を握って立ちすくむ。
 黒い風が過ぎた後には生きるものは何もなく、家の名残と木が一本立っているだけ。地平線には赤い光球が浮かび、沈んでゆく。

 

 この映画を知ったのは、作家の高橋ブランカさんのツイートでした。題名を検索したら、情報はたくさん出てきたのだけど、それらは見ないふりをして映画を見ました。

 


 作中では明言されないけれども、これは中央アジアカザフスタン、セミパラチンスクでソ連が行った一連の核実験が舞台になっているとおぼしい。この核実験はあたりには人がいないとして場所が決められ、20万人もの周辺住民に健康被害を与えながら、ソ連によって長らく情報が隠蔽されていた。また、恋敵の金髪の青年は多分ロシア人だが、父娘と、近くの村の青年、その家族は昔からカザフに住んでいた人たちかもしれないし、極東、沿海州から強制移住させられた朝鮮民族かもしれない。
 このような歴史的な状況を明らかにして物語を作ることもできたはずだが、コット監督は主要登場人物を父娘と恋敵の二人に絞り、セリフを入れずに、永遠とも思える静かな暮らしと、美しいロングショットを見せる。人間の暮らしの原型ともいうべき光景の美しさと、それが突然破壊される恐ろしさを特定の事件を超えて、普遍的なものとして提示している。

 見渡す限りまっすぐな地平線が空と大地をふたつに分け、そこに太陽が浮かぶ光景の美しさが印象に残るが、結末で再び日が昇り、沈んでゆくのがとても恐ろしい。ぼくはこのシーンで、ニュージーランドマオリ詩人ホネ・トゥファーレの「異形の太陽」を連想した。第二次大戦後に広島に駐留した経験を持つトゥーファレは、白人文化の帰結としての核兵器を自然を冒涜し、人間の生存すら脅かすさまを「異形の太陽」という詩で描いた。

木よ、腕を下ろせ。

(中略)

かつてそうであったようにあなたの茂みが

(中略)

巨大な太陽から気もそぞろな恋人たちをかばい、熱を冷ましてやることもない。

(中略)

輝く球体に無駄な願い事をしてはならない。

(中略)

これは異形の太陽だからだ。

 サワダ ハンナ ジョイ「広島を目撃したマオリ詩人ホネ・トゥファーレ」(三神和子 編著『オーストラリア・ニュージーランド文学論集』彩流社、2017年、PP.245-246)より。

 

 ラストシーンの太陽はまさに「異形の太陽」に見えるのである。

 

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オーストラリア・ニュージーランド文学論集

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