chilican's diary

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『アリス・イン・ワンダーランド/時間の旅』(ネタバレ、追記あり)

アリス・イン・ワンダーランド/時間の旅』(2016年、アメリカ。ジェームズ・ボビン監督)を見てきた。『アリス・イン・ワンダーランド』(2010年、アメリカ。ティム・バートン監督)の続編だ。


『アリス・イン・ワンダーランド/時間の旅』予告編

 アンダーランドでの冒険を経て、亡父の遺志を継ぎ、中国との貿易を目指して旅立ったアリス(ミア・ワシコウスカ)は、3年にわたる航海を終えて、1875年、ロンドンに帰った。次の航海にはやるアリスを待っていたのは、理解者であり共同出資者だったアスコット卿の死の知らせだった。アスコット卿の息子で、貿易会社の経営権を握ったアリスの元婚約者ヘイミッシュは、パーティの席で父の船を手放さなければ、アリスと母が暮らす家と年金を取り上げる、どちらかを選べとアリスにせまる。思いがけない要求と、宴席で男たちから「船長は女にふさわしくない。女は責任ある職に就かず家にいるものだ」と侮られたこと、母からも夢を追うのはやめ、女は女らしくつつましく暮らすべきだといわれ、怒って宴席を飛び出したアリスは、アスコット卿の書斎でアンダーランドの蝶、アブソレム(声アラン・リックマン)に導かれ、鏡を通って三度アンダーランドへ渡ることに。

 一方、白の女王(アン・ハサウェイ)の元で平和になったはずのアンダーランドでは、マッドハッター(ジョニー・デップ)が失意から健康を害し、臥せっていた。ハッタ―の家族、帽子職人のタラント一家はジャバウォックの襲撃で死んだと思われていたのだが、ある日かつて父に贈った紙の帽子の切れ端を見つけたハッターは家族の無事を直観するものの、仲間たちにはそれを信じてもらえず、友への不信と落胆ですっかり弱ってしまったのだ。アリスなら家族を探し出せるというハッターだが、アリスも死者をよみがえらせることはできないというほかはない。頼みの綱のアリスにも信じてもらえないことにハッターは絶望し、彼女をも拒絶するのだった。

 何とかしてハッターを助けることはできないかと思案する一同。白の女王は、アンダーランドの住人が過去または未来の自分自身と出会ってしまうと世界を破壊してしまうため、自分たちにはできないが、外の世界の住人であるアリスなら過去にさかのぼって、ハッターの家族を現在に連れてきて、ハッターを家族に再会させられるのではないかと考えつく。時の化身タイム(サシャ・バロン・コーエン)に過去を変えることはできないと断られたアリスは、タイムの宮殿から、アンダーランドの時間をすべる力を具現するクロノスフィアを盗み出し、時間の海を渡って、過去へと旅立つ。はたしてアリスはハッターを救うことができるのか?

 

 前作『アリス・イン・ワンダーランド』、ぼくは強烈なキャラクターたちの形は楽しく見たのだが、物語の筋にはいくつも不満があった。ルイス・キャロルの『不思議の国のアリス』の、てんでばらばらで、筋が通らないのが楽しい成り行きと、バートンの『ワンダーランド』の筋立て、暴君の圧政と凶悪な怪物が救世主によって滅ぼされることが予言されていることがうまくそっていなかった。変わり者と見られているアリスが、異世界での冒険を経て、勝手に決められた結婚(婚約者はグズだし、姉の結婚は早くも裏切られているようだし、未婚のまま年を取った小母は周りから現実逃避している厄介者とささやかれている。結婚そのものが女性には枷になっているのだ)を拒否して、奇想を実現しようと旅立つのはいいけれど、肝心の冒険が異世界ですでに予言されているのでは、起こりえないことを実現する、と連呼されるたびに可能性が狭められていくように見えたのだ。
 『アリス・イン・ワンダーランド/時間の旅』でも、特に若い女性に向けて、女性は不可能に見えること、不可能だと周りから諭されることでも、やりたいことをやろう、という励ましは主要メッセージになっている。アリスが「現実の19世紀のイギリス」で受ける明らかな差別、妨害は前作より苛烈だ。事業を奪われ(どちらかを選べと言われるのだが、娘のほかに家族のいない、手に職もなく、夫や友人に先立たれた母の生活と天秤にかけられるのだから事実上選択肢はない)、女のくせにと馬鹿にされ、あげくに精神病院に入れられるのである(診断は"female hysteria"だ)。周りの「女はかくあるべし」に従っていたら命がない。
 映画の中でタイムがアリスに告げるとおり、過去を悔やむより、振り返ってこれからの行動に生かせ、も何度も出てくるメッセージだ。過去にとらわれすぎて、アリスはにっちもさっちもいかない状況から、どうしていいかわからなくなり、ハッターは文字通り死に至る病にかかり、赤の女王(ヘレナ・ボナム=カーター)は暴君になり、白の女王は嘘をついたまま良い子を演じ続けるのだ。キャロルの『鏡の国のアリス』の要素は、鏡を抜けて異世界に行くところと、君は誰だ?と、どちらが夢を見ているのか?の問いかけくらいになってしまったが、これらのメッセージに関しては『ワンダーランド』よりも物語の筋とよく合っている。

 タイムトラベルものとしては、過去の改変はうまくいかないのは予想できるけれど、死者の蘇りも含んでいるところや時間旅行が航海として描かれているのが、近過去SFになっていて新鮮だったし、楽しく見られた。

 キャロルの『鏡の国のアリス』の映像化といえるのがハンプティ・ダンプティくらいになってしまっているのは、前作の時点で『不思議の国』『鏡の国』の両方からキャラクターを出してしまっているから仕方がないのだろう。ディズニーのアニメからして両方を混ぜているんだけど。ハッターと女王二人は別として、そのほかのおなじみのキャラクターは、時代ごとにかわいらしい姿は見せてくれるけれど、あまりプロットにはかかわらない。そのかわり、この映画独自の場面にあたるタイムの宮殿と、赤の女王の新しい城はそれぞれ、ぜんまい仕掛けの時計、植物のモチーフになっていてどちらも見ていて楽しい。赤の女王の新しい家臣たちは動く植物たちで、女官はみなアルチンボルドの植物が人の顔になる絵が人になったやつであった。タイムの部下はどれもぜんまい仕掛けのブリキのロボットのような外見で、「秒」「分」「時間」と単位が大きいほど強くなる。いっしょに見た人はこのロボたちがお気に入りで、グッズ化されていないのを残念がっていた。

 アリスは今回も場面に合わせて都合5回衣装がえをしているが、特に中国の皇太后から贈られた七色に光る蝶の羽のような正装と、赤い花の服は見事だ。1875年が舞台だから、西太后とあったのかな?と思わせる。清国はアヘン戦争アロー号事件を経て、西洋の科学技術を取り入れる政策をしていた時代だ。この二つの衣装はどちらもドールになっているけれど(ディズニーのオンラインショップで見れる)、そりゃあドールにするよなあ。ちなみに、ぼくは前回、白うさぎのぬいぐるみを買ったのだけど、今回は文房具が多かったので、ホログラムのバッジにしました。これが白うさぎくん。

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 ※7月7日追記:
 アリスの衣装についてつらつら考えていたのだが、前半の七色の蝶の服は、彼女の中国への旅を記念する服であり、アンダーランドでもたびたび時間を超えて冒険をするのだから、まさに蝶のように飛ぶ自由をあらわしているのではないか。後半の赤い花の服はどうか、映画の最初で示された禁忌が起きてしまい、アンダーランドの時間は破壊されてしまうのだが、時間が止まってしまったアンダーランドの存在は枯れた植物や固い石を思わせる姿になってしまう。その中で最後まで崩壊を止めようとするアリスが、枯れ木の中で咲く花なのだと考えた。

 

 

アリス・イン・ワンダーランド〜時間の旅〜 (ディズニーアニメ小説版)

アリス・イン・ワンダーランド〜時間の旅〜 (ディズニーアニメ小説版)