ズートピア - ZPD、まえあしは足りているか(ネタバレあり)

 『ズートピア』を吹替版で見てきた。

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 田舎の映画館でもロングランになっていて(いつもよりも混んでいた)、様々なメディアやガイドブックが出ているし、ぼくがいつも参考にしているブログ*1でも取り上げられているし、果ては公式に没になったプロットと映像まで出てしまった。あらかじめいろいろ分かったうえで見ることになったけれども、とても一度では見きれない。たくさんのテーマを扱って、映像の見どころもふんだんな映画だった。

 舞台は哺乳動物が文明を築き、草食と肉食の動物も共に暮らしている世界だ。田舎町バニーバロウで農場を営んでいるウサギの娘、ジュディは子供のころからの夢をかなえ、「だれでもなんにでもなれる」大都会ズートピアで初めてのウサギの警察官になり、都会に出てくる。警察学校での優秀な成績と、種族で初めてという誇りとは裏腹に、上司からは能力を軽く見られ、肉食獣の連続失踪事件を担当させてもらえず、駐車違反の切符切りをやらされる。
 一連の事件の一つ、カワウソのオッタートンの失踪を「48時間以内に解決できなければクビ」という条件で探ることになったジュディは、詐欺師のキツネ、ニックを、脱税を暴かれたくなければと協力させる。はたして、立場も性格も大違いの二人は事件を解決できるのか?

 組織から外れた警官と詐欺師がコンビを組んで事件を捜査する物語である。この手のはぐれ警官と詐欺師コンビ、解決までのタイムリミットは48時間とくれば、その名もずばり『48時間』(1982年米、ウォルター・ヒル監督、ニック・ノルティエディ・マーフィー主演)という刑事映画がある。性格は正反対、人種や属する組織も違う二人が協力して事に当たる過程で、互いに一目置くようになる。『ズートピア』もこの筋書きにのっとっている。協同は期間限定で、最後はそれぞれの居場所に戻ってゆく先行作品に比べると、『ズートピア』はより長い時間の中で、また、違う種族が同じようにはなりえず、また完全に分かれて住むこともできないのが前提になっている。偏見や他種への恐怖や警戒心、ステレオタイプにしたがってだれかを評価したり、自らお定まりの型に従うような生き方、行動をしてしまう様子が何度も繰り返し描かれる。
 ジュディが事件には捕食者の性質が関係しているのではないかと、記者会見で発言してしまって、ニックを怒らせ、街じゅうで肉食動物が草食動物から恐れられ、迫害のきっかけになってしまう重大な場面がある。これはジュディが盗み聞きした生物学者の話を(動物の医学者なのか、この世界ではどっちになるのか微妙なところだ)そっくりそのまましゃべってしまうのだけど、何らかの説を生物学的な理由といわれるとついうのみにしてしまうが、それって本当?その言葉、何言ってるかわかっていってる?というような話が人間の世界にはうようよしているのだ。物語の中でも重要だけど、こういうことを子供向け映画で扱うのは大事なことだ。

 この映画では動物たちの大きさの違いと、それに合わせて大小さまざまに変わる街並みが、追いつかないほど目まぐるしく変わる。『ふしぎの国のアリス』かガリヴァーリリパットかという感じで大小の変化そのものが見てて楽しい。大きな動物ばかりの警察署で、ジュディがちっちゃく見えた後でネズミの街に写って、ジュディが大きくなるところ、最初のアクションシーンなんだけど、ものすごく速く、そしてジュディが大きく見えます。のだけれど、ズートピア市警、うさぎだけじゃなく、比較的小さな動物がいないみたいに見えたぞ。ジュディの勤務署以外には、いろいろなサイズの動物がいると考えたとしても、ジュディの同僚たちは5つのエリアのあちこちに行っているのだ。警察学校も大きな動物ばかりだったし……。そんなんで大都市の警察の仕事に人手が足りているのか?