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川本静子『ガヴァネス(女家庭教師) ヴィクトリア時代の<余った女>たち』

 川本静子『ガヴァネス(女家庭教師) ヴィクトリア時代の<余った女>たち』(中公新書、1994)を再読した。

ガヴァネス―ヴィクトリア時代の〈余った女〉たち

ガヴァネス―ヴィクトリア時代の〈余った女〉たち

 

  ガヴァネスというのは、個人の家庭において、主に住み込みで、子供を教育するために雇われる女性のことをさす。イギリスでは19世紀に入って、王族や貴族だけでなく、裕福な中産階級でもこうした女性を雇うようになり、19世紀の大半を占めるヴィクトリア朝にいたって、ガヴァネスの供給過多と待遇の悪化が社会問題になった。19世紀の中産階級の女たちは、自らを生計を立てるものではないという通念があったのだが、それが可能なのは父親、ないし夫に扶養されている限りである。この時代、女性のほうが人口が多かったこと、男性の海外移住の増加、上流、中流男性の晩婚化などによって、自活する必要にせまられる未婚女性が中産階級に増えた。中産階級としての体面を保ちつつ、自分で金を稼がねばならない女がつくことが出来る唯一の「恥ずかしくない」職業が、女家庭教師ガヴァネスだったのである。

 

 本書の第一部は統計や当時の広告、社会評論などからガヴァネスの実際の職務や待遇、社会における位置づけを描き、第二部は7つの小説をあげて、ガヴァネスが小説という形式の中で果たした役割と、文化的なガヴァネス像を論じている。

 

 レディを教育するには自身がレディでなくてはならないが、「働いてお給料をもらって暮らすレディ」では雇い主とは対等とはいえない。そしておそらくはあいまいな立場ゆえに、他の家庭内労働者に比べても不十分な賃金がまかり通ったという当時のひどい扱いは現代においても別の層、職業の人間に、違った形で押し付けられているものだ。

 

 ぼくは中産階級じゃなくて労働者階級だし、体面よりも実質を重視していく暮らしのほうがまっとうだと考えているので、暮らしを維持できないのなら、それはもはやレディではないのだろうから、さっさと切り替えてちがう階級と環境で働いたほうがなんぼか身になるよ、と、その場にいたら言いたくもなるんだろうけど。それにしても「それなりのおうちのお嬢様」とみなされているのに給料は安く、尊敬も特にされない様子を読むと、気の毒になってくる。

 

 そういえば、19世紀のイギリスの小説を読んでいると「家庭教師の口が」って言うのはよく出てくるよなあ。『ジェーン・エア』とか『ねじの回転』とか「ぶな屋敷」とかさあ、とぼくは思うわけだけど、『ジェーン・エア』と『ねじの回転』は本書でもそれぞれ詳しく取り上げられている。

 シャーロック・ホームズシリーズにはぱっと思いつくだけでも「ぶな屋敷」、「さびしい自転車乗り」(偕成社版になじんでいるのでこの題がまず思い浮かぶ)、『四人の署名』に出てくるのだが、本書では取り上げられていない。「ぶな屋敷」にはガヴァネスの就職斡旋所の場面もあって、ははああれがそうか、と本書を読みながらうなずけるところが多い。「ぶな屋敷」を読んだことのある人には本書を、本書は読んだけどシャーロック・ホームズは読んだことがないな、という人には「ぶな屋敷」をそれぞれおすすめしたい。同作のヒロインの待遇が、なぜ、どのように破格であるか、同時代の読者には言わずもがなの事柄が本書を読むと見えてくるからだ。ジェレミー・ブレット主演のTVドラマ版『シャーロック・ホームズの冒険』でも「ぶな屋敷」は映像化されている。ガヴァネス役のナターシャ・リチャードソンもとってもきれいだし、ドラマ版をみてもよいとおもう。