chilican's diary

読んだ本や聞いた音楽の話をします。

トリビュートなのか?ヴィトウス新譜(2)

5月末に一度紹介したミロスラフ・ヴィトウス『Remembering Weather Report』であるが、「演奏自体はすばらしいんだけど、楽曲が難解」(Realistic Nagoya)だとか、「タイトルにだまされると痛い目にあう」、

このタイトルはないだろう。何ともリスナーの期待感だけを煽っておきながら,実は自分のやりたいことをやりましたっていう感じなのである。これはある意味詐欺的であって,こういうタイトルを付けるVitousの商売っ気を感じてしまって,大いに冷めてしまった

中年音楽狂日記:Toshiya's Music Bar
だのと、なんだか違うなあ、とがっかりしてるようなブログが書かれている。

そもそも後のファンク、エレクトリックポップ路線はザヴィヌル7割、ジャコ・パストリアス2割くらいで作ってただけで、オリジナル・ウェザーはポップとは無縁のグループだったのではないかなあ。それに、明らかにWRの売り物であった「ソロ/非ソロ」の並列はマイルスの『ネフェルティティ』で見せた、旋律楽器によるアドリブ=モダンジャズの図式の破壊の延長線上にあるわけで、ここでヴィトウスがショーターの"Nefertiti"を取り上げてることや、鍵盤がないこと、フリーなアプローチが多いことがすなわちWRを看板に持ってきているだけの羊頭狗肉だとはいえないと思う。というよりも、前回も書いたけど、ソロとバッキングの区別の融解と、ベース、ドラムの伝統的な役割の放棄はWRの本質のうちのかなり多く、半分くらいにはなる。残り半分が旋律の美しさと、エレクトリックキーボードを中心にすえた和音の独特な響きだ。こちらはヴィトウス離脱後もショーターとザヴィヌルが二人だけで"In A Silent Way"を演奏し続けたところに現れている。その意味で、Universal Syncopations IIに引き続き、「こうだったかもしれないウェザーリポート」を幻視させてくれるヴィトウスの音楽というところで、十分このアルバムはタイトルどおり「ウェザーリポート回想」だと思うんだけど、やっぱりWRのレパートリーとか、直接にWR風のをやってほしいって思う人はいるんだな。

トリビュートと銘打ったヒットパレードとか再結成プロジェクトとかだったら、僕なら逆にがっかりするところだ。