chilican's diary

読んだ本や聞いた音楽の話をします。

Fly / Sky & Country


Fly / Sky & Country (2009, ECM 2063)

Flyはマーク・ターナー(ts, ss)、ラリー・グレナディア(b)、ジェフ・バラード(ds)によるトリオで、レギュラー・グループとして活動しているようだ。このECMからのアルバムが2作目で、ほかにディエゴ・バーバーなるクラシック・ギタリストのアルバムにトリオとして加わっている。

ピアノレスの管楽器グループ編成だと伝統的に、管楽器は朗々と歌い、ベースもかなり役割が増えて、コントラバスをギターのように軽々と弾きこなすタイプのベース奏者でなくとも、低音部の支え、という固定的な位置を離れ、アンサンブルの中核を作り上げながら主旋律をとるかのように活躍する。ロリンズヴィレッジ・ヴァンガード盤のウィルバー・ウェア/ドナルド・ベイリーとか、コルトレーン・カルテットでマッコイ・タイナーが休んでる時のジミー・ギャリソンとか、ベース好きにはたまらないもの。いま例に挙げた演奏はどちらもエルヴィン・ジョーンズが叩いてる。ドラマーには縦横無尽にグループのリズムをガイドする能力と、ソロイストとしての華が要求されるわけだ。

しかしフライの演奏には、ロリンズの朗唱もコルトレーンの構築性、前進性もない(そんな言葉ないが、進歩progressiveではなく、コルトレーンがモダン・ジャズのコンセプトを刷新したことは間違いないけれども、ここではそういった歴史的価値ではなくて、単に演奏自体がもつぐいぐいと聞き手を巻き込んでいく展開について言いたい。)。乱暴になりすぎず、勝手知ったる世界の緩やかで幸福な演奏にもなりすぎず、3人は互いの一挙手一投足に油断なく経を張り巡らせながら、演奏を繰り広げていく。こういったストイックなグループ表現というのは今の40代くらいのアメリカのジャズミュージシャンの、ある程度共通した志向なのかもしれないな。編成面ではフライよりもずっと冒険的だったけれども、ジョシュア・レッドマンの『コンパス』もソロの盛り上がりを抑制した作品だった。合気道とか、無駄な力を使わないことを一つの目標とする格闘技を連想させる。

com-postのレビューで益子博之氏が、フライの音楽は

意識や身体が過度に緊張したままでは、却って即座に目前の状況に反応できなくなってしまうために、適度にリラックスした状態を得るべく演奏されているような音楽

であり、

このような態度、姿勢は、音楽家のものというよりも、ある種の武術家やスポーツ選手、あるいは宗教家が目指す"無我の境地""無心の境地"のようなものを想起させる。

と指摘している。
益子氏はこうしたニュートラルな音楽に現在のジャズの取りうる可能性を見出しているが、ぼくもそれに賛成する。
こうしたショーケース的な盛り上がり、過剰さを排した音楽を楽しみたいという気持ちが強くなっているのだ。