chilican's diary

読んだ本や聞いた音楽の話をします。

Wynton Marsalis / He And She

Wynton Marsalis / He And She

ウィントン・マルサリスの新譜が出た。ウィリー・ネルソンとの共演作も出たらしいのだが、それは聞いていないので、2007年のクィンテット+ヴォーカルのアルバムFrom The Plantation To The Penitentiary、インターネット限定無料配信アルバムで、セプテットによるHere...Now(→ここ)以来だ。この2枚はどちらもよく聞いた。それで今度の新譜が出たのを知って聞いたら、おもしろかったので、ネット上ではどんな評価が出ているのか気になって、ぐぐる先生に聞いてみた。

少なっ!
……日本では全然聞かれてない?

商品説明の類をのぞくと、アマゾンのレビュー1件、JAZZTOKYOに悠雅彦氏のレビュー、nary氏のブログくらいしかない。2chmixiも動きなしである。

悠氏によると、

わが国のジャズ・ファンが現在、ウィントンにどの程度の評価を与えているかを詳しくは知らないが、ウィントン後のモダン・ジャズ・ルネッサンス下に育ったミュージシャンを除くと彼の信奉者はさほど多くはないような気がするし、ことに一般のファンの間で彼のジャズが高い人気を得ているとも思えない。私の知人たちの中にもウィントンの音楽の一番の難点は音楽に面白味がないことと指摘する人がいる。

またnary氏によれば、

ポエムの後の1曲目はいきなりラグタイム風とでもいうかディキシー風な演奏で、こういう時代に逆行しているような音楽をいまさらやられても「なんだかなぁ」って感じなんだけど、それは2曲目以降も同様で、とにかく「作りもの」あるいは「ヤラセ」的な演奏が最後まで続いているので、純粋にジャズを楽しみたい身としては、このサウンドにはかなりの違和感を覚える。

とのことである。

ウィントンの音楽に関して言えば、初期のブランフォード・マルサリスやケニー・カークランドとやってるアルバムは60年代のマイルスの焼き直しにしか聞こえない。うまいけどね。たぶん、エレクトリックジャズフュージョンが主流だったウィントンのデビュー当時なら、そのやりかたは効果的だったのだろうが、アコースティック・ジャズに関しては、60年代マイルス・グループのモーダル/コーダルな方法論、キース・ジャレットがやったノンストップ・パフォーマンス、エヴァン・パーカーらのフリー・インプロヴィゼーションといったあたりからパラダイム・シフトはしていない。

今、その時点で主流ではない過去の音楽を洗いなおして提示するなら、マイルスよりもっと古いところ、具体的にいえばニュー・オーリーンズ・ジャズのスタイルをやろうという考え方のほうが説得力があるし、演奏そのものも力強くてよい。

ウィントンの新古典主義は定着したけれども、ジョン・ゾーンの濃縮音楽や菊地成孔のダブ、コンピューター編集を前提とした音楽は定着するか?そのへんはまだ分からない。

それに音楽は過去から現在、未来へと直線的に「発展」していくものではないと思う。直線的な進歩史観は、トータルセリー音楽がそうだったように(ブーレーズの諸作やシュトックハウゼンの「グルッペン」は、個人的には惹かれる作品だが)極めて聴衆を選ぶ、「聞きにくい」存在に自らを追い込んでいくのではないだろうか。また、T・S・エリオットの作家論を音楽にもあてはめるなら、どんな音楽家も作品も単独では存在せず、既存の作品との関係性は固定されたものではなく、絶えず変化しうる。その観点において、ぼくはnary氏の、ウィントンのニューオーリンズ・スタイルを作りものと断じる意見にはくみしない。

さて、新譜は男女の関係をウィントン自作の詩の朗読と、レギュラー・クィンテットの演奏で綴ったコンセプトアルバムだ。
ウィントンのソロ、ウォルター・ブランディング(ts, ss)とのユニゾンリズムセクションのコンビネーションの見事さにも目を見張るが、ダン・ニマーの洒脱なピアノのコンピングが効いている。モダンとプレモダンの音楽を並列させて、実に豊かな演奏だ。
学童期から物語が始まり、恋愛にまつわる大人の関係性のみに限定していないこと、ワルツやラテンを社交ダンスやプロムを想起させるようにストーリーに組み込んでいること、コール・アンド・レスポンスやメンバー相互の絡みががあたかも劇のように聞こえることなど、高い演奏能力を存分に生かした構成も光っている。
うちの親の趣味の影響があるんだけど、スウィングにしてもニューオーリンズ・ジャズにしても、ぼくにとっては、今もアクチュアルな存在だから、ということも関係あるかもしれないが、興味深く聞いた。